天と地のあいだ −くらし綴り−


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「あっ!」 2006/10/24(火)

 わが家のお嬢さんは1歳と5ヶ月を過ぎて、個性が少しずつ見えてきているように思います。物を見つけるにも、なかなか独特の視点を持っているようです。

 夕方のお散歩。突然立ち止まって「あっ!」と指差します。その先には遠く電線にカラスの小さな影。鳥が好きなんです。はたまた公園へ行く途中、十字路の真ん中に立ち止まって「あっ!」と笑顔。隣の筋をワンちゃんが横切っています。朝はベランダから「あーっ!」と大声。お向かいのおばあさんがお出掛けです。

 朝の起床は7時頃。眠い目をこすりつつ、トコトコと居間に出てくるお嬢さん。目が半分閉じてるかと思いきや「あっ!」、机の上に何かを見つけました。そうそう、使い古しの電話子機を置いていたのでした。ビールの缶なんか片付け忘れていると飛びついて離してくれず大変です。

 一番感心するのは、食べ物を察知する速さですね。誰かがお菓子を取り出そうものなら、ほとんど瞬時に駆け寄ってきます。まっしぐら。「あぁっ!(ちょうだい!)」「あー、見つかっちゃったね。」

 よく見ていると言うか、私たちが意識していないような、ちょっとした変化にもすぐに気付いて教えてくれます。さて、お嬢さん、明日は何を見つけてくれるでしょうか。

 追記:娘は道路に落ちているタバコの吸殻が気になって仕方がないようで、いちいち立ち止まっては拾っています。親としてはあまり触ってもらいたくないのですが、拾うのを制止するにも数が多すぎて、道路を歩かないようにするしかありません。喫煙者の皆さん、タバコの吸殻はきちんと適切な場所に捨ててくださいね。ポイ捨てしたら一歳児が拾います。


「山小屋フィールドノート」 2006/10/21(土)

 「フィールドノート」という名前のお宿が岩手県の早池峰山の麓のタイマグラというところにあります。フィールドノート。自然の中で観察したものを書き込む野帳。調査に欠かせない品の一つです。このお宿の名前。そして、蛇紋岩の山として有名な早池峰山。運命に導かれるように私がお邪魔したのは10月初旬のことでした。

 盛岡で日が暮れ、タイマグラに着く頃にはすっかり夜になっていました。手動発電の懐中電灯で迎えてくださった女将さんが一言、「熊に会えなかった?残念でしたねえ。」建物へお邪魔すると6歳の男の子がトイレを案内してくれます。「縁側へ出るときは、『ホォー』と言うか、手を叩くなど合図してから戸を開けてください。熊がいると驚くから。」

 私が軽いカルチャーショックにボーッとしている間に、その男の子が手際よく薪ストーブを開け、薪を補充してくれます。女将さんは夕ご飯の仕度と電話の応対に忙しく動き、お兄ちゃんはお風呂のお湯を薪で沸かしてくれます。私は家族の軽やかな動きに魅了され、そして、どこか違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚におちいっていきました。

 森の合間に立つお宿は、戦後の開拓時に建てられたもの。そこに最小限の手を加えて、ご主人と女将さん、そして3人の男の子の5人家族が自然に寄り添って暮らしておられます。季節に応じた自然の恵みを利用する知恵と、電気・ガス・石油にできるだけ頼らない手の技術。例えば、天然酵母のパン、天然の麹を生かした豆味噌、キノコを始めとした山の幸の料理。こんな暮らしを眼前に見せてもらうと、私なんかは安心した豊かな気持ちになり、未来に希望が持てるような気がしてきます。実際に可能なのだと。

 そうそう、もし早池峰に登られるなら、「フィールドノート」に一泊して予備知識を入手することをオススメします。ご主人は、早池峰山にとどまらず、各地の自然について豊富な知識をお持ちです。お酒をいただきつつご主人の様々なお話を聞くのも楽し。

 山小屋フィールドノートに2泊3日お世話になった感想をひとことで表わすなら、「生きていることの楽しさを思い出させてもらえた」お宿でした。


「小さな妙なる世界」 2006/10/13(金)

 土。生き物がそこに育って、戻っていく場所。人の営みである農業も、土といのちの環境をうまく利用するための知恵を追究してきたと言ってもいいかもしれません。

 自然農という考え方では、「植物、動物、微生物の自然な営みが豊かな土を育てていく」とみるそうです。その土地の気候に応じて生まれる調和が、生命にとってベストな環境を用意してくれると捉えて、自然に任せるのです。自然では、四季のめぐりと共に草が生え、枯れて積み重なっていきます。この草の亡がらが次の生命の糧となり、活躍の場となり、そして、土の乾燥も防いでくれるそうです。

 このお話を聞いて、試しに鉢植えの上に夏草を敷いて見ました。しばらくは、夏の草が根をつけ立ち上がり、いわゆる雑草が茂るものの、土が豊かになる気配はさほど感じなかったのです。ところが、秋になって変わってきました。ご覧ください。枯れた夏草の下から冬草の芽が顔を出しています。いのちの移り変わりの現場に立ち会うことができ、私は感動してしまいました(ちょっと大げさかな)。

 自然農の啓蒙家の一人である川口由一さんは、すべての要素が調和した状態を「妙(たえ)なる世界」と表現されます。わが家の小さな鉢の中にどんな妙なる世界が育っていくのでしょうか。私のひそかな楽しみです。


「訃報」 2006/10/12(木)

 昨日、研究室での発表を終えてメールを開くと悲しい知らせが届いていました。研究仲間の一人が亡くなったというのです。

 コンピュータの画面にはうそのような文字が並んでいます。電源を切ると消えてしまうように、そこに書かれた事柄も消えてしまうのではないか。そんな気持ちで、何度も何度もメールを確認してしまいます。しかし、何度メールを開いても、そこには同じ文面があらわれます。「詳しいことはまだ分からないけれど・・・」と。

 大学院生である彼は、新しいテーマを持って最高水準の技術でもって実験に取り組んでいこうというときにあったそうです。彼の協力のもと私が行なった研究の論文について、これから一緒に議論してもらうはずでした。

 若々しく輝いているいのちがこんなにも突然に失われるのに、なぜ、今、私は生きていられるのだろうか、という疑問が私の心を支配します。しかし、だからこそ、生きていかなければならない、という声がどこからか聞こえる気もするのです。


「信州松本」 2006/09/25(月)

 父方の祖母に娘と会ってもらおうと訪れた信州の松本に魅了されました。

 今、松本は収穫のとき。りんごがたわわに実り、田んぼは黄金色。休日だったためか、手作業での稲刈りの光景をたくさん見かけました。空気がきれいで何もかもがさわやかにすっきりと見えます。

 コスモスが美しく咲く川沿いの宿でいただいた朝食のおいしいこと。手作りの取れたて野菜のサラダにお漬物。山で採ってきたばかりのしゃきしゃきキノコのお味噌汁。最後はヨーグルトをアカシアの蜂蜜の甘みでいただきました。

 上高地の入り口、島々へ足を伸ばすと豊かに茂った緑の山々。私達の空気、土、いのちを安心して任せられるような、ゆったりとした気持ちになります。

 そんな中でつるつるっっといただくソバがまた美味しい。信州そばは、信州でいただくから信州そばなんですねえ。

 冬の厳しさはどうなんでしょう。住みたくなってきました。


「夢かなう?」 2006/09/04(月)

 娘への期待と願い。私が公言していたものが二つあります。一つは、野山で食べられるものを自分で見極められるような力強さを備えて欲しい、ということ。もう一つは、一緒に街のごみを拾ってもらうこと。

 娘は自分の足で外へ出るようになってから、見るもの見るもの口に入れていきます。石ころや木の枝、葉っぱ、ペットボトルや花火、たばこまで・・・。いろんなものの食感や味を楽しんでいます。食卓では、食いしん坊のくせに、初ものにはわりと慎重。まず口先だけで味わって、未体験のものは、しばらくは飲み込みません(例外は納豆、枝豆かな。始めから好物でした)。

 そして、彼女が最近気に入っているのは、公園で落ちているいわゆるゴミ(お菓子の包装やプラスチック製品のかけら)を珍しげに拾って、母が手に提げているビニール袋にしまいこむことなんです。一見、公園の掃除をしているようです。

 なんと一歳と三ヶ月にして、私の小さな夢をかなえてくれました(?)。けっこう難しいかな、と思っていたのですが、子供の力を見くびってはいけませんね。


「自然の奥行き」 2006/08/30(水)

 先週末、矢作川に沿ってさかのぼり、山間に住む知人のお宅へお邪魔しました。その道中に山並みを目にして、ふと感じました。

 「美しい山の光景は写真で見ることができる。遠い山にも高速道路であっという間にたどり着き、その姿を眺めることはできる。けれども、山並みの奥行きを本当に実感するのは、難しいことなんじゃないか。」

 距離や勾配。「自分の足で」とまでは言わないけれど、自分の目で体で感じてみなければ、本当の姿を知ることはできません。

 山間に住む知人と私は、今、メールや電話で簡単にやり取りができます。「その私たちの間にこれだけの山々がある」と目で見て実感したとたんに、気持ちのやり取りまでが立体的に感じられるような気がしました。そんなことを気付かせてくれる自然の奥行きに、また畏敬の念を深めました。


「8月、それぞれの思い」 2006/08/24(木)

 2006年8月15日、内閣総理大臣の小泉氏が靖国神社に参拝されたことが話題となりました。このニュースを聞き1週間以上も経つのに心が落ち着きません。なぜでしょう。その意味を自分の中で整理せずにはいられず、ここに私見として書いてみようと思います。

 小泉氏は「参拝の意図は個人の心の問題だ」と説明しています。「戦没者の御霊の礎にこの国が建つ」との考えから鎮魂の祈りをささげたいという気持ちは、戦後生まれの私にも理解できるところです。しかし、時の首相の個人的な行為が国民と国家の利益に反する、もしくは害をなすとしたら、私は国民の一人としてその首相を支持することはできません。今後を見守る必要があるでしょう。

 もし、表向きの発言と裏腹に、首相が靖国参拝を行なう影響を自覚した上での行為ならば、政治的な意味合いを含んだ行動以外の何物でもありません。もしそうであれば、「政治は方便で行なう」と公言しているようなものです。宗教活動を政治に利用しようとしているとみれば、政教分離の原則に触れる行動とも言えなくもない気がします。やはり支持することはできません。

 もし仮に政治的な意味合いがあったとしたら、何でしょう。まず、東アジアの隣国からの声明等による干渉には容易には屈しない「堂々たる(?)日本政府」をアピールし、そのイメージを浸透させようという意図が見える気がします。その背景には領土問題等も絡んでくるでしょうか。あとは下世話ですけれども、小泉氏の「公約を守る」発言から、有言実行の政権時代であったと自己満足のために任期の末尾を飾りたいのでは?と想像してしまいます(政治ではないかも…)。一部の支持者の思いにこたえる意味合いも含んでいると考えることもできます。すべて想像です。

 朝日新聞は「小泉氏の参拝には一つ意義がある。それは靖国問題を掘り起こし焦点化したことである」としています。現在の靖国神社の在り様と政治家達の行動を見ていると、この国において政教分離が建て前でしかないことを表しているように思います(政治と宗教が完全に分離されている国家は世界中を探してもないのかもしれませんが…)。今、政教分離の理屈を超えた現実問題を目の前にしているときに、この建て前を盾として発言を避けようとしている政治家もおられます。私は、その態度に誠意のなさを感じてしまうことを否めません。

 冒頭に書いた「落ち着かない気持ち」。その背景には、郵政民営化の是非を問う形にカモフラージュされた前回の選挙で、私たち国民が小泉氏を後押ししてしまったことへの、私の悔恨の気持ちがあります。今でも「選挙によって与党を選ぶことの意味がひどく軽んじられた非常に危険な選挙であった」と私の心に刻まれています。この傷がこれ以上深くならないことを願うばかりです。

 国家のあり方をどう考えるかは、ひとそれぞれに違うでしょう。20世紀の戦争をどう考えるかも、同様にそれぞれだと思います。ただ、8月6日、8月9日、8月15日と、8月は「この国には、戦争に巻き込まれ被害にあった者とその思いを酌む人たちと、理想と危機感のもと戦争を計画し広げていった者とその思いを酌む人たちが住んでいる」という事実を浮き彫りにします。


「お盆」 2006/08/15(火)

 盂蘭盆というのは「逆さづりにされたような苦しみ」を意味するのだそうです。「この世に暮らす家族、親族のものたちが幸せにしているか、どのような暮らしをしているか」と心配で居ても立ってもいられない、ご先祖たちの気持ちを表わしています。ですから、その苦しみをやわらげてもらうために、この季節に家(うち)へお招きする。これがそもそものお盆の風習の意味合いだというお話を聞きました。

 今日は今年一番といわれる暑さの中、お寺にお参りされる人の姿にたくさん出会いました。この方々の気持ちに手を合わせたとたん、蝉の声が私の身体に染み込むように聞こえてきました。ふと、芭蕉の言う静けさとはこのようなものか、と感じました。

 20世紀、8月15日は日本にとって終戦の日になりました。今、戦争で亡くなった方々の心が少しでも慰むようにと祈る心には、蝉の声が響いているでしょうか。いかめしい心持でご先祖に向かっても、かえって心配をかけてしまうような気がする、昨今のこの日の騒々しさです。


「目覚めてなお消えぬ怒り」 2006/07/13(木)

 最近、とても貴重な体験をしました。一晩寝て、朝、目覚めると頭と心に怒りが満ち溢れていたのです。理性的に解消しようとしても、心の芯からふつふつと湧き出てきて止められません。このような経験は自分の記憶の中にはありませんでした。

 原因が昨晩の言い合いにあることは分かっていました。妻が怒りの対象に入っていました。家庭生活を穏やかにおくるには、家族に対する少々の苛立ちや腹立ちは表に出さない方がよいでしょう。そうすることは、私にとってあまり難しいことではありませんでした。しかし今回は、平静さを装うどころか、心は煮えたぎるばかり。なにしろ怒りのあまり、ほかの事を考えることができないのです。一息つくこともできません。これは困りました。

 人は怒っているとき、実はその人自身の心が傷ついているのだといいます。私は何に傷ついていたのでしょうか?自尊心でしょうか?怒りが強すぎてうまく考えられませんでした。今私が置かれている立場と状況について、誰かにただ聞いてもらいたい気持ちになりました。誰かに謝ってもらったところで消えそうもありませんでした。

 これまで何度も、怒れる人が支離滅裂にまくし立てるのに付き合ったことがあります。その際、私は「こうやって見方を変えてみると怒りもなくなるんじゃない?」、「相手にもいろんな考えがあったと思うよ」、「次にこうやって対処したらいいんじゃないか」と様々な提案をしていました(もちろん親身になったつもりで)。しかし、そのような私の態度は必ず咎められるのでした。「ただ聞いてくれればいいんだ」と。この一方的な申し出を私はどうしても理解できませんでした。

 今は解かる気がします。人には、理屈ではどうしても追い出すことができない心の芯まで、怒りが入り込むことがあるということを。こんなとき、自分自身が落ち着かなければならないことは分かっています。でも、熱いマグマのようになってしまった怒りが、心に溜まったままではどうすることもできません。だから「話させてくれればいい。自分がおかしなことを言っているのは解かっているから。」と噴火させたくなるのですね。そして、できることなら「大変だね」と同情してもらえたら、そこで速やかに火口をふさぐこともできるんじゃないだろうか、そんな予感を心の奥底に感じてもいるのです。

 一晩眠っても消えない、どうしようもない怒り。この体験によって自分が少し成長できた気がします。今、同じような気持ちにある人に出会ったら、心から「大変だね」と、話を聞けるような気がするのです。


「いつか『NO』を迎える」 2006/07/07(金)

 子供と一緒に過ごしていると、「人は人生の始まりの時期に親から多くのことを学ぶ」という当たり前の事実を再認識します。一番身近な先輩に生きるうえで必要なことを学ぶのはごく自然なことですよね。手足の使い方、物事の楽しみ方、様々な状況での身の処し方など、無意識に使っているような基本的なことです。そして、親は「そういう方法でいいんだよ」という自信を与えてくれる存在でもあります。

 時間が経ち、成長に応じて行動範囲が広がり、それにつれて教わった方法では対処しきれないことが増えてくるのも自然なことです。ましてや時代の変化が早く、引越で環境が激変する機会も多いご時勢です。独自の方法を編み出さなければならなくなったり、親に教わったことを否定しなければならなかったり、本人の判断が求められる機会は数多いでしょう。

 そういう経験の蓄積によって自己が形成されてくると思うのですが、同時に内面において「親」との対立が増えていき、混沌とした心理状況ができてきます。いずれ、否定すべきものは否定して、もしくはすべてを一度解体して、再構成しなければならないときがやってくるでしょう。この際、どんな形であれ、親に対して「NO」と宣言する行為が必要になるでしょう。そうでなければ、自分の道を本当に自信を持って進むことはできない気がします。世間で言う「反抗期」とはこういうものでしょうか。

 新しい自分を築く始まりのとき。自然の流れとして、人がいつか迎えるものだと思います。たとえそれが「大人」と言われる年齢になったとしても私は遅くはないと思うのです。そういったのんびりした視点で、子供の成長を見守りたいものです。


「娘の後頭部」 2006/06/10(土)

 娘と私はよく似ていると言われます。特に後頭部あたりがそっくりなのだそうです。新生児期に後天的につぶれてしまった頭の形までそっくりなのだそうです。自分自身で確認したことはありませんが、たぶんそうなのだろうと思います。何度直されても頑固に横を向く性格まで似てしまったのだろうなあと、ちょっと申し訳ない気がします。

 娘は0歳児の頃、とてもよく泣きました。大きな声で力の続く限り、いや声が嗄れても延々と泣き続けるので妻と私はちょっと忍耐強くなった気がします。そんな娘を見ていると、私もこのくらいの頃は癇が強くて母に苦労を掛けていたのかもしれないなあ、と思ったものです。後頭部だけが似ている、なんてことは、たぶん無いでしょうから。

 自分自身が、どういうところで家族に迷惑を掛けてきたか、受けてきたか、わかっていたつもりになっていました。自分の人生を知るのは自分だけ、なんて理屈っぽいことをひそかに思いながら気取っていたわけです。ところが、娘に付き合っていろいろやっていると、もう母に頭が上がらない気分になってきます。子育ては自分の人生を知ること、とはよく言ったものです。

 娘の後頭部を見ると、時々そんなことを想います。これはちょっと幸せなことかもしれません。


「便利な子育て道具」 2006/06/09(金)

 世の中、便利なものがたくさんあります。例えば、掃除機。拭き掃除はしてくれませんが、ほこりやちりならばあっというまに吸い取ってくれます。食器洗いをやってくれる機械もあるそうですね。

 そんな時代ですから、赤ちゃんグッズのお店に行くと子育てに関わる道具も驚くほど多様です。沐浴用のたらい、哺乳瓶、ベビーカーなど、非常に細やかな気配りと工夫をこらした各社の製品の数々。選ぶ方が困ってしまうほどです(荒木飛呂彦氏の漫画「JOJOの奇妙な冒険」にそんな話があったような…)。

 歩行のために3段階の靴が開発されていることには驚きました。つかまり立ちから外出、二足歩行まで、赤ちゃんの成長をやさしくサポートしてくれるようになっています。ただ、各段階を過ぎると新しい靴を購入しなければならないのは経済的にはかなり負担になるのですが・・・。

 先日、面白いコップを購入しました。飲み口と取っ手が付いていて、成長に応じてパーツを取り替えたり、はずしたりできる優れものです。赤ちゃんは、始めはコップでうまく水を飲めません。口が小さく、またうまく使えないので、脇からこぼれてしまいます。親としては、飲ませるたびにこぼれた水を拭きまわってなかなか大変なのです。ところが、このコップを娘に使わせるとあっという間に上達し、2日ほどで普通のコップでも飲めるようになってしまいました。そんな優れものです。

 子育てグッズを使ってみると作りの巧妙さに驚き、赤ちゃんのことをよく研究しているなあと感心します。靴なんてあまりにやさしくサポートしてくれて、気付いたら歩けるようになっていた、なんて感じになるのではないでしょうか。でも、子供の野性にとってはどうでしょうか?ちょっと怠けさせてしまっている気がします。

 そして、誰にとって便利かと考えてみると、結局、恩恵にあずかっているのは、私達、親なのだと気付きます。ちらかさずに食事ができる、親が体力を使わずに移動できる、簡単に衣類が着脱できる、みんな親が楽をできるように工夫されています。子供にやさしいのは確かですが、子供のためのものではない、ってところはポイントです。子育ての苦労をやわらげてくれる赤ちゃんグッズ、ついつい手にしてしまうのが人情ですが、せめて親の都合なんだぞ、ってことは忘れずにいたいものです。


「鳥との付き合い方」 2006/05/24(水)

 以前にも紹介しましたが、私達の住むメゾネット形式のアパートはある鳥の群れの生活の場にもになっています。体長15cmくらいで、くちばしが黄色く尖っていて、身体は褐色、顔に黒白のやや攻撃的なペインティングがあり、ちょっとかわいらしいとは言いにくい風貌をしています。建物と道路との間に駐車場があるため、住宅地において比較的視界がよく、電線も渡されていて、適度に雨よけの軒がある、といった環境がよいようです。

 住んでいる人間にとっては、軒下に干す洗濯物をふんで汚されてしまうのが悩みの種。屋根が薄いので、カサコソと動き回る足音が気になる人もいるかもしれません。鳥たちの足場になりそうなところを網で覆って、昨年は比較的被害が少なくなっていたようです。

 ところが、鳥たちは「自分達の住まいを失ってなるものか」と粘り強くすき間を探したのでしょう、近頃は、網を意に介さず軒下に入り込むようになっていました。巣を作ったようで、日中はひな鳥のピヨピヨと鳴く声がしていました。

 そんな週末の日暮れ前、アパート管理業者の方が張り網の補修作業に来られました。私は突然ベランダに人影が現れてびっくりしてしまいましたが、方々にドリルで壁に穴を開けて網の被覆域を広げたようです。翌朝からヒナの声は聞こえなくなりました。駐車場にはえさをくわえて途方に暮れる親鳥の姿がありました。鳥の巣とヒナはどこへ行ってしまったのでしょう。

 先日、こんな話も聞きました。旅行で留守にしているうちに風呂の煙突にヤマガラが巣作りを始めてしまったため、慌てて巣箱を煙突の傍に置いて(手作り!)引越しをしてもらった、という田舎暮らしのエピソード。

 私は、この2つの鳥との付き合い方の間に、環境破壊の一つの境界線があるように感じます。服を汚さないために命を奪うことを選択する。しかも、自分の手を汚さずに。いわゆる「清潔」を求める人の営みがこれほどに暴力的であるという事実に、どれだけの人が気付いているでしょうか。



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